ドラノスケの頭の中。

ドラノスケの体の1/3はコンビニのサラダでできていました

15年

あの地震の日から15年経ったということで、5年前にここに書いた記事(当時思ったことについて)から抜粋してみる。*1

■前日(成人の日の振替休日)、たまたま神戸に遊びに行っていた。後日、この時通った高速道路が横倒しになっている写真を見て驚いた。
■夜になってから避難勧告が出たから、学校に避難した(でもその日のうちに帰った)。
■学校のレンガ製焼却炉が崩れた。
■ガスがなかなか来なくてお風呂に入れなかった。(水は出た)
■学校の給食が暫くの間、"魚の蒲焼の缶詰""ツナ缶""リンゴ1個"など+"牛乳"とか。
■道路に入りまくったひび。それがとりあえずコールタールで埋められていた。夏になったら柔らかくなって、足にくっついたりしてイヤだった。(その後数年経っても道路はそのままだった)
地震の1ヶ月後に南京町に行ったら、窓はバリバリに割れてるわ、全然賑わってないわで驚いた。

うわー、避難したことと給食のこと、正直忘れてたわ・・・。ちょっとショックだった。
風化させないように、こうして振り返るのって大事だね・・・。
ところで、去年行った災害対策訓練で聞いた話では、災害時はとにかくトイレの問題が一番大きいらしい。食べ物飲み物は1日か2日で各地から届くけど、トイレ問題がどうしようもないんだとか。食べ物を備蓄するお金と場所があるのなら、それを簡易トイレ+テントに費やした方が良いのかもしれない。

*1:私は当時、被災地のかなり端っこの方に住んでいました。